azukki的. 姉妹猫mao(黒)とmeo(銀)、天国のノア(黒白) 空と花と石と美しいもの。

『平清盛』第50回(最終回)「遊びをせんとや生まれけむ」覚書


(※2013年1月6日、加筆しました。)

第1回が始まったときから、このドラマの最後は「最初に戻る」のだろう、と思っていました。
頼朝に平家滅亡の知らせが届く、あのシーンに。
そして、いつからか、第2回の頼朝の言葉、
「剣の行方がわからぬと聞いて、清盛だ、と思った。
今も平清盛がどこかで生きていて剣を振り回しているのだ」
につなげて、ラストシーンを勝手に思い描いていました。
こんなふうに。

第50回のラスト予想。
海に沈んでいく宋剣を無頼の高平太の姿をした若き清盛が拾い上げ、船の舳先に立つ。
その船には、この世を去った人たちが皆乗っていて笑っている。

(映画「アンダーグラウンド」のラストシーンが好きで、実は「龍馬伝」のラストも同じ想像をしていました。
当たりませんでしたけれど。笑)

さて、結末やいかに。
(宋剣について → 第16回「さらば父上」覚書










鎌倉。
壇ノ浦の戦、前日。
(壇ノ浦の戦は1185年3月24日。)
写経に夕暮れの光が差す。
鐘の音。
したためているのは頼盛。
琵琶の音。
頼朝が来る。
「これは、鎌倉殿。」
頼盛にも夕日が射している。
頼朝は告げる。
「平家は一の谷の戦、屋島の戦に敗れた後、西へ西へと逃れておる。まもなく壇ノ浦あたりで戦となろう。」
「じきじきのお知らせ、痛み入りまする。」
「頼盛殿。そなた、悔いてはおらぬのか。一門から離れ、こうして一人命を長らえることを。」
頼盛は微笑んだ後、きっぱりと言う。
「平家は常に、一蓮托生。」







黒い背景に赤い文字、「平清盛」のタイトル。
「最終回 遊びをせんとや生まれけむ」のタイトル。








【清盛入道大往生の事】

遡って四年前(1181年)。
伊勢、西行の庵。
読経する西行の背後に、清盛が現れる。
「入道様。何ゆえここに。」
「ここは、どこじゃ。」
「伊勢は二見浦の私の庵にござります。」
「何ゆえさようなところにわしはおる。わしは京の屋敷にて盛国と話をしておったはずじゃ。まだ一月だというのに、妙に暑い暑いと言うておったのじゃ。」
宋剣の手入れをしながら盛国と話していたはずの清盛。
今、西行の目の前にいる清盛。
その手には宋剣が握られている。
西行は清盛をしげしげと見て、言う。
「おそらく、お手前はまもなく死ぬのでござりましょう。」
「何じゃ、そういうことか」といったん納得しかけて、清盛、目を向く。
「何と!」
「ここにいるお手前は、生霊のごときものでありましょう。」
「あるまじきことぞ。あるまじきことぞ!」

京の館。
「熱い、熱い」と真っ赤になって苦しむ清盛。
体から湯気が上がる。
時子「氷を持て!」

ナレーション頼朝 <治承五年(1181年)一月二十七日。平清盛は熱に悶え苦しんでいた。>

枕元に氷が置かれる。
時子が清盛の額に水をしたたらせると、たちまち音を立てて蒸発する。
重衡「お体ごと水につけたほうがよいのではござりませぬか。」
宗盛「それはもう試した。だが、たちまち湯が沸き上がってしまうのだ。」


西行の庵。
白湯を飲む西行。
「生霊とは便利なものにござりまするな。飲まず食わず、眠らずとも大事ないご様子。」
歩き回り、落ち着かない清盛。
「今死ぬということは、皆の志を捨てるも同じぞ。父上や叔父上、弟家盛、家貞、我が子重盛、基盛、信西殿、義朝、兎丸。皆の志を受け継ぎ、武士の世を作ることが、わしの背負うた使命。頼朝を倒し、再び福原に都を作るまでは死ねん。」
そう言って、清盛は宋剣を床に突き立てる。
西行は静かに言う。
「その方々も皆、そうだったのではござりませぬか。やり残したことがある。果たせなかった思いがある。皆、無念であったことでしょう。されど、皆に等しく訪れるが死というもの。それゆえにこそ、人は命尽きるまで、存分に生きねばなりませぬ。そして、お手前ほど、それを体現したお方を私は他に知りませぬ。」
宋剣を握った手に力をこめ、にらみつける清盛。

後白河法皇が歌っている。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」
風花の舞う庭で。

京の館、清盛を見守る時子はふと、庭の方を見やる。
何か光り輝くものを、時子も、回りの者も見る。

歌い続ける後白河法皇の庭に光が差している。

宋剣を握り締めた清盛にも、いつのまにか光が差している。
清盛の目から涙が流れる。
「嬉しいとき、楽しいときも、辛いとき、苦しいときさえも、いついかなるときも、子供が遊ぶようにお手前は生きた。生き尽くした。お手前の生きてこられた平清盛の一生。眩いばかりの美しさにござりまする。」
滂沱の涙を流す清盛は。やがて宋剣から手を離す。
光の中で。

京の清盛が目を覚ます。
驚く一門の前に、彼は立ち上がる。
「平家のつわものたちよ。比類なき我が一門よ。聞くがよい。」
皆、清盛に向かって居ずまいを正す。
「きっと、我が墓前に、頼朝が首を供えよ!」
そして、前へ歩きだし、何かをつかむように手をのばしたまま、清盛は後ろへ倒れる。
巨大な老木がめりめりと音を立てて裂けながら倒れるような、凄まじい倒れかた。
「兄上!」「父上!」「父上!」
目を開いたまま、仰向けで絶命した清盛の姿、驚き、叫ぶ一門。
(清盛の正面で表情一つ動かさず、静かに見守る盛国。)

<治承五年閏二月四日。平清盛は、誰よりもたくましく、その六十四年の生涯を駆け抜け、生き抜いた。>




【清盛の遺言の事】

西行が京の館を訪れ、宋剣を祭壇に供える。
「入道様より、方々にご遺言を預かってござります。」
「遺言。」と神妙な顔の時子。
西行は呼びかける。
「維盛殿。資盛殿。」
維盛、資盛が西行に向かって居ずまいを正すと、清盛の声が聞こえる。
「維盛。資盛。」
驚く二人、時子も目を見張る。
「そなたたちは亡き重盛の血を引く者。その心根の清さ、おのれの宝と思うて生きよ。」
そこにいるのは西行のはずだが、目の前に見えているのは、まぎれもなく清盛。
次々に遺言を授けていく。
「経子。重盛にそなたのような良き妻がおってくれたことは救いであった。重盛にも、わしにもな。」
「経盛、教盛。二人そろって一人前とはよう言うたものじゃ。これより先も兄弟支え合い、平家の文と武の軸たれ。」
顔を見合わせ、うなずく二人。
「忠度。そなたの歌の才は日本一じゃ。わしが認める。」
顔をくしゃくしゃにして泣く忠度。
「頼盛。きっと守り抜いてくれ。父上と母上の、平家の血を。」
清盛の目の力、頼盛はしっかりと受け止める。
「そして、宗清。何があってもそなただけは頼盛の忠実な家人でおれ。」
「貞能。父家貞と変わらぬそなたの平家への忠義、甲斐甲斐しき働き、忘れぬぞ。」
「忠清。お前がおらねば、とうに一門は滅びておったであろう。長きにわたり、よう平家の武を支えてくれたな。」
感無量で涙する忠清。
「宗盛、知盛、重衡。わしのたくましき倅たちよ。きっと勝て。勝って勝って勝ち続けよ。」
「徳子。そなたほど見事な働きをしたもののふは、国中どこを探してもおらぬ。あっぱれな娘じゃ。」
「時忠。そなたなくしては平氏は平家となれなんだであろう。時忠あらずんば平家にあらず、じゃ。」
そして、「盛国。いいや・・・」
清盛は立ち上がって、盛国の前へ行き、呼びかける。
「鱸丸。」
「お前はこの平家という船に躍りこんだ鱸のごときもの。お前に巡り会えたは、我が生涯随一の恵みであった。」
盛国いや鱸丸は、誇らしく殿の顔を見上げ、口元をほころばせる。
「もったいのう、存じまする。」
そして。
「時子。そなたこそが、わしの紫の上じゃ。」
時子の目から、涙。
うなずき、言葉なく頭を下げる。
皆に遺言を言い置き、清盛は皆を見渡す。
宗盛も知盛も、重衡も泣いている。
清盛は最後に盛国を見る。
そして、いつのまにか、清盛の姿も、西行も消えている。
残された一門。
時子の涙に濡れた顔。







【平家都落ちの事】

<清盛亡き後、我ら源氏は勢いを増し、平家は凋落の一途を辿った。>

家財を持ち出し、落ちて行く平家一門。
(史実では1183年。)

しかし、頼盛は。
「宗清。私は鎌倉殿を頼ろうと思うておる。」
「くだると仰せになりますか。」
「鎌倉殿は聡明なお方じゃ。かつてご自分の助命を嘆願した我が母池禅尼の恩、決してお忘れではないはず。」
「ならば、私もともに。」
「ならぬ!そなたにまで裏切り者の汚名は着せられぬ。」

<頼盛は一人一行から離れ、鎌倉の私を頼った。その股肱の臣宗清は最後まで平家に付き従った。>

宗清「承知つかまつりました。裏切り者の殿についてゆくなど、武士の恥にござりますゆえ。」
(宗清は清盛の遺言どおり、頼盛の意を汲んで頼盛に忠実であろうとした。涙をこらえて。)



<貞能は、亡き主君重盛の遺骨を掘り起こし、鎮西へと落ちて行った。>
(回想。倒れた重盛を介抱する貞能。)


<忠清は、独自に平家を守ろうと、伊勢平氏の乱を起こした。
しかし、ついに捕縛され、斬首となった。>

回想。海賊討伐の勇壮な忠清。
清盛に命を賭けた諌言をする忠清。


<忠度は一の谷の戦にて討死した。>

回想。清盛五十の宴で剽軽な舞を見せる忠度。


<重衡は、大仏焼き討ちを恨む南都に送られ、斬首された。>

回想。弓の稽古をする重衡。
南都を攻める戦装束の重衡。


<維盛は、一の谷の戦の陣中より逃亡して出家、後に那智の浦にて入水して果てた。>

回想。富士川の戦。
清盛に殴られる維盛。







【壇ノ浦の事】

<清盛が世を去って四年後の元暦二年(1185年)三月二十四日。源氏と平家は、長門国にてその雌雄を決する戦の最中にいた。世に言う壇ノ浦の戦である。>

船上で戦うもののふたちの怒号が聞こえる。
船倉には時子、安徳帝、徳子、時忠、盛国、経子、生田。
(生気のない盛国。)
時忠「なんとしても、これら三種の神器はお守り参らせる。姉上。いざというときには姐上は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を。」
そこへ鎧に矢を射られたままの知盛がざんばら髪で駆け下りてくる。
ひざまずいた知盛に経子が問う。
「知盛殿。戦のさまは、いかにや、いかに。」
知盛は血に汚れた顔を上げ、笑顔を作って答える。
「方々はすぐに珍しき東男をごらんになることになりましょう。」
そう言って笑い声を上げる知盛に、時忠も時子も、絶望を悟る。
生田が「まあ、かようなときに何と悪いお戯れを。」と顔をしかめると、知盛は真顔になり、
「もはや、これまで。」
知盛が再び船上へ上がっていく。
船のきしむ音。
時子は「さあ」と立ち上がる。
見上げる安徳帝を抱き上げて、時子はしっかりと立つ。
その目は揺らがない。
「参りましょう。」
経子、徳子、時忠、盛国は頭を下げる。
「そのとき」が来た。


<資盛は、壇ノ浦で奮戦の末、西海に散った。>

回想。後白河法皇五十の宴で舞を披露する資盛。


<経盛、教盛は、壇ノ浦にてともに入水、最後まで行をともにした。>

回想。保元の乱、鎧姿の二人。
平家の栄華の頂点にある二人。


<宗盛は、嫡男清宗とともに入水、沈まず泳ぎ回っているところを捕らえられた。後に、清宗ともども斬首となった。>

回想。清宗を溺愛する宗盛。
名馬木下に乗ろうとして尻餅をついた宗盛。


<経子は、壇ノ浦まで一門と運命をともにした。>

回想。重盛との婚礼の経子。


<建礼門院徳子は、後に出家して一門の菩提を弔った。>

回想。高倉帝に入内する徳子。


<時忠は、壇ノ浦でご神鏡を守った功績で死罪を免れ、配流された能登国でしぶとく生き抜いた。>

回想。時子の行末を案じる時忠。
策略を巡らす時忠。


再び壇ノ浦、船上。
安徳帝を抱いた時子が現れる。
波が飛ぶ。矢が飛ぶ。
時子は静かに進む。
「尼前(あまぜ)。朕をどこへ連れてゆくのじゃ。」
時子に抱かれた安徳帝が聞く。
「尼前。なんとしたのじゃ。」
時子は涙をためた目で幼い帝を慈しむように見つめる。
「海の底にも、都はございましょう。」
時子の目をまっすぐに見て、頷く帝。
後ろで生田が泣いている。
時子は前を向いて、船端に進む。
裸足で船の縁に立つ。
帝を抱き、赤い布に包まれた草薙剣を握ったまま、時子は静かに入水する。
水の音。水しぶき。

<時子は、壇ノ浦の海に沈んだ。>


平家の総大将知盛の、かっと見開いた目。
「見るべきほどのことをば見つ!」
敵方に囲まれ、巨大な碇(いかり)を平家の赤い旗とともに体に巻きつけた知盛。
「今は、これまで!」と碇を背負い、仰向けに海に身を投じる。

<知盛は、激戦の果てに碇を体に巻きつけて、海に身を投げた。>


暗転。


海に沈んでいく草薙剣の赤い包み。
包みから抜け出て、海底に落ちていくのは、宋剣。

 「祇園精舎の鐘の声」

琵琶法師の歌声が聞こえてくる。
歌っているのは、羅刹。
あの赤い禿の頭領であった羅刹が今や目の見えぬ者となって、琵琶を弾き語る。
「始末」された禿は、殺されたわけではなかったが、おそらく苛酷な運命を辿ってここにいる。
赤の禿の装束がそのまま風化したような褪せた赤の色、艶のない髪が風雪を思わせる。

 「諸行無常の響きあり」

暗い牢獄に座る盛国。
やせ衰え、身動きもしない。
蝉の声。
手には宋銭の首飾りが握られている。
かつて盛国が作り清盛が肌身離さずつけていたもの。
その首飾りが手から落ちていく。

<盛国は、鎌倉に送られた後、日夜一言も発さず、食を断ち、餓死による自害を選んだ。>

 「沙羅双樹の花の色
  盛者必衰の理をあらわす」

琵琶法師の弾き語りに聴き入る頼盛。

<頼盛は、平家の血を守り抜いた。
そして、壇ノ浦の戦の一年の後にひっそりとその生涯を終えた。>

頼盛の写経の結びには
「一蓮托生 平頼盛」
と記されている。






【義経の腰越状の事】

<平家を滅ぼした後、私が退けねばならなかったのは我が弟九郎であった。>

(史実では1185年5月。)
義経からの文(腰越状)を読む頼朝。

「兄上、何ゆえわかってくださらぬのですか。私は兄上の命に従い、平家一門を海に沈めました。その功で法皇様から五位の位を授かりました。それはただ源氏の世のため。私には謀反の心などないこと、何とぞ、何とぞ、おわかりくださりませ。」
兄に呼びかける義経は、死を暗示する青みを帯びた装束。

文を読み終えた頼朝に、藤九郎が聞く。
「九郎殿は何と言うてこられたのですか。」
「恨みつらみが長々と書かれておる。武功のある自分が何ゆえ鎌倉に入れてもらえぬのかと。勝手に都にて任官など受けるゆえじゃ。」
時政が問う。
「して、いかがなされまする。」

<私は、無断で任官した義経を許さなかった。>

義経「兄上、いかに心を尽くしてもわかってくださらぬのですね。」
義経は意を決して立ち上がり、叫ぶ。
「者どもに伝えよ、東国に恨みある輩は皆義経に従えと!」

<だが、幾度も心が揺れた。身内同士で殺し合う苦しみを、私はよく知っていた。>







【頼朝と西行、そして清盛の対面の事】

ある夜。
(史実では1186年8月15日。)
頼朝は頼盛の写経の「一蓮托生」の文字をつくづくと見ている。
家人「東大寺の勧進の僧が参っておりまする。」
現れた僧に頼朝は聞く。「御名は。」
「西行と申します。」

頼朝と西行、二人は夜通し語り合ったのか。
いつのまにか夜が明けて明るくなっている。

西行が歌を詠む。

 「願わくは 花の下にて春死なむ
   その如月の望月のころ」

  (願いが叶うならば、春、満開の桜の下で死にたいものだ
   二月の十五日、満月の頃に。)

頼朝「見事じゃ。何ゆえそうも見事に歌を詠める。」
「花を見ては心に感ずるままを、わずか三十一文字(みそひともじ)にまとめるばかりにござります。」
「ご謙遜を。京随一のもののふと呼ばれたお方が。」
「京随一の。お戯れを。京随一、いや日本一のもののふとは誰のことか、お手前はすでにご存じのはず。」
蜩(ひぐらし)の声が高まる。
「頼朝。」
清盛の声が聞こえる。
西行が立っていたはずのところに、清盛が立っている。
亡くなる前の、生霊として西行の前に現れたときの姿で。
「わが倅どもがきっとそなたを討ち取る。そして、そなたが首をきっと我が墓前に供えようぞ。」
それを聞いて、頼朝は強い目で答える。
「さて、そうは参りませぬ。」
(「アクアタルカス」)
清盛はにやりとして、言う。
「そう言うと思うたわ。しからば頼朝。
まことの武士とはいかなるものか、見せてみよ。」
清盛は、座っている頼朝の顔を覗き込む。
(第28回で「まことの武士とはいかなるものか、見せてやる」と言ったあのときと同じように。)
頼朝は目を見開いてその言葉を聞き、やがて、決意の目になる。
立ち上がり、清盛と同じ目の高さで向き合い、無言で、しかし力強いまなざしで、清盛の言葉に答える。
清盛は微笑み、かすかに頷いたように見えた。

まことの武士の志が今確かに受け継がれた。

「では、拙僧はこれにて。」
再び高まる蜩の声。
頼朝の目の前にいるのは、いつのまにか西行。
「大儀でござった。」と頼朝。

<西行は、歌に願ったとおり、桜咲き乱れる望月の頃に往生を遂げた。>

西行が去ると、頼朝は髭切を手にする。
政子が来る。
「まあまあ、どうしたことにござりましょうなあ。表で子供たちが銀の猫で遊んでおりました。なんでも、旅の僧にもろうたとかで。」
頼朝は髭切を手に、決意に満ちている。
「これが私が選んだ道。武士の栄華へと続く道じゃ。」
(「銀の猫」は、頼朝が西行に贈ったが、西行は館を出るなり子供に与えたと『吾妻鏡』に記述あり。)





【義経と弁慶の最期の事】

<私は刺客を放つなどして執拗に義経を追いつめた。>

(史実では1189年。)
追手に囲まれる義経、それを守る弁慶。
敵を散らして、弁慶は義経と背中合わせになる。
(五条大橋での二人の再会、禿に囲まれたときと同じ絵。)
「殿!どうぞ、お行きくださりませ!」
「弁慶。」
最後にそう呼びかけて、義経は御堂に逃げ込む。
弁慶はその前に立ちふさがる。

御堂に一人入った義経は、兜を脱ぎ、刀を手にする。
「兄上。これが我が定めならば、潔く受け入れましょう。」

追手の太刀が弁慶の肩に胴に刺さる。
しかし、弁慶は立ったまま、動かない。
矢が放たれ、弁慶は体中に矢を浴びる。
とどめの矢が額を貫く。
しかし、弁慶は動かない。
目を見開いたまま、手を広げ、主の義経の最期を守る。

「されど、源氏の世に捧げるこの命、決して無駄にはしてくださりますな。」
義経は首に刀をあて一気に引く。

弁慶は雄叫びを上げ、敵方を睨みつけ、立ったまま絶命。

同時に、義経も倒れる。







【そして武士の世へ。未来へ。】

<弟の屍の上に、私は武士の世を作り上げた。>

<建久元年(1190年)、私は三十年ぶりに上洛した。そして、このお方との対面を果たした。>

頼朝が後白河法皇を訪れる。
二人の前に双六盤。
二人は双六を始めるが。

<私との双六はさほど心躍るものではなかったのか、一年あまり後、日本一の大天狗後白河院は六十六歳の生涯を終えた。>

(「タルカス〜噴火」)

<かくいう私もその九年の後に死に、その後、室町に幕府が置かれ(1338年)、足利の世となってようやく、清盛がその礎を築いた、国と国との交易が行われることとなった。>

宋船の上に小兎丸。
手に宋銭を握り締め、剣を振り上げて叫ぶ姿は、かつての若き清盛にも、父兎丸にも似て。
その笑顔の輝き。瞳の清らかさ。
後ろで笑っているのは豊藤太、荒丹波、麒麟太夫。
そして隣で微笑むのは桃李。
風を帆に受けて、海原を進む船。






エンドロール。
(オープニングテーマが流れる。)

光射す海の底に突き立った宋剣。
それを抜く何ものかの手。
女物の袿を羽織った無頼の高平太。
若き清盛。
「清盛、来とるんやったら来とるって早う言わんかい!」
兎丸の声がする。
導かれた先、扉が開かれ、進んで行くと、六波羅の館がある。
平家一門が清盛を待っている。
皆、笑顔で、清盛を待っている。
カメラは清盛になり、主の座に進んでいく。
皆の顔を一人一人、清盛の目(カメラ)が追う。
盛国、忠清、宗清、頼盛、時子、重盛(!)、宗盛、知盛、重衡、時忠、教盛、経盛・・・
皆、笑顔で清盛を見返す。

清盛は高平太の顔で子供のように笑う。
面白くて楽しくてたまらない顔で、笑う。

時子の声。
「海の底にも、都はござりましょう?」

<平清盛なくして、武士の世は、なかった。>



完。









【azukki的 見どころ】

一瞬たりとも瞬きできないだろう、と前回書きましたが、まさにどの一瞬も作り込まれていて、実に濃密な珠玉の43分でした。

遺言シーンに泣き、時子入水に泣き。
羅刹の「祇園精舎」に震え。
エンドロールの海の都(重盛!)に泣きました。
でも、悲しくはなかった。

救いと希望に満ちた最終回でした。

諸行無常は絶望ではなく、希望を未来へつないでいく営みなのだ、と思った。

何度も、何度でも、見返したいです。




清盛が西行に諭されて、死を受容するシーンは光に包まれていました。
心の軸であった宋剣から手を離し、清盛は旅立つ。
老木が、あるいは巨象が倒れるかのような大往生。
巨星堕つ。
その最期の瞬間まで、清盛は前に進もうとしていた。


遺言のシーン。
清盛の言葉を聞く一人一人の表情から、台詞はなくても思いが伝わります。
特に、「盛国。いいや。鱸丸。」と呼び直して、清盛が盛国の前に行くところは、泣かずにいられない。
終始言葉なく無表情に近かった盛国の顔がそのときだけ明るく輝く。
清盛の言葉は、一人一人の生を讃える言葉。
夢中で生き切れと鼓舞する言葉。
同時にそれは「呪(しゅ)=縛る言葉」でもあると感じました。
特に、頼盛に「父上と母上の、平家の血」と言ったときの清盛の目の光、そしてそれを無言で受け止める頼盛。
頼盛は叔父忠正にも母宗子にも「平家の血を絶やすな」と「呪」をかけられてきた人。
彼一人、平家と道行きをともにしないことを選びますが、それもまた、「一蓮托生」。
そう、「一蓮托生」とは本来、「死後、極楽で同じ蓮(はす)の花の上に生まれること」なのですから。


都落ちのあと、淡々と語られる一門の行末。
源平合戦の詳細は描かれず、平家の運命をその身ひとつに負うかのように海に消える時子。
時子が幼い安徳帝を抱いて入水するシーンは、1年にわたるこのドラマの中で最も美しい、白眉の映像と思いました。
尼削ぎ(出家して短く切りそろえた髪)の時子の白い肌、涙をたたえた瞳、揺るがない瞳、安徳帝の幼気(いたいけ)な横顔、海風、水しぶき、風を受ける時子の白髪混じりの髪、船べりを踏む爪先・・・
有名な「海の底にも都はござりましょう」の台詞、『平家物語』でも最も涙を誘うであろう場面が、これほど清らかで崇高な絵に描かれるとは。

そしてもう一つ、壇ノ浦で有名な台詞「見るべきほどのことをば見つ。」
聡明で朗らかな知盛の壮絶な死にざまに、源平合戦の激戦の全てが凝縮されていました。

最期まで平家としての気品と誇りを失わず逝った時子、知盛。
他の何も描かれなくても、そこに滅びゆく平家の姿を強烈に見ました。
ドラマとしての取捨選択、何を見せて何を見せないかということ。
天晴れ。

壇ノ浦に沈む剣を追いながら、「祇園精舎の鐘の声」と謡われるシーンでは、何と形容していいかわからないほどの戦慄を覚えました。
シドレドシラシと4つの音だけで歌われるメロディの無常観。
このドラマのために作曲されたものだそうですが、ただ哀しいだけではない、慰めや慈しみのようなものも漂わせて、そのメロディはたゆたうのでした。


物語が平家の滅亡で終わらず、頼朝が義経を討つところまで語るのは、予告で知ってはいましたが、頼朝に弟を討つという修羅の道(かつて清盛も通った道)を選ばせるのが、まさか清盛その人であるとは。
頼朝と清盛を対面させるというファンタジーにぞくぞくしました。
西行を実に巧く使いましたね。
頼朝と清盛の間の台詞は少ないながら、二人のまなざしや表情の変化が饒舌でした。
これまで何度も回想されてきた第28回の二人の対面シーンにつながって、「まことの武士とはいかなるものか、見せてやる」→「見せてみよ」
「武士の世」を作るという志が、清盛から頼朝へ、鮮やかに託された瞬間。


その頼朝が「かくいう私もその九年後に死に」と室町幕府成立までをナレーションで語るときの「諸行無常」感とといったら。
(たぶん)目眩とともに私たちは日本史年表を振り返る。
そして、清盛こそが、初めて武士としてこの世の頂に立った革命児であり、海につながる都を作ろうとした先駆者であったことを思い知る。
諸行無常とは、喪失の哀しみではなく、希望をつないでいく営みであると知る。

船の上で雄叫びを上げる小兎丸のきらきらした瞳。
それは希望そのもの。

ここで第1回冒頭の頼朝の言葉に戻る。
「平清盛なくして、武士の世はなかった。」
大団円。

と思ったら、エンドロールで、海の下の都という、まさかのサプライズ。
ラスト予想、高平太が海に沈んだ宋剣を抜く、死者たちに会う、というのは当たっていましたが、それが海の下とは。

このラスト、多くの人がそう感じたと思いますが、まるで劇のあとのカーテンコールのようでした。
清盛を迎える一門の皆は、劇中の姿ではあるけれども、演技していないかのように見える。
役としてではなく、俳優さん自身として笑顔を見せているように見える。
でも、このドラマでは、どの俳優さんも、演じている役そのものにしか見えない、という域に達しているので、たとえば時子自身が、重盛自身が、そこにいて、「今までのは全部『おはなし』だったんですよ」と笑いかけているようにも見える。
「海の下の都」がそもそもドラマというフィクションの中のフィクションのようなものだから、と思うと、もう何が何やらわからなくなってくるのですが、とにかく、こう言えるのではないでしょうか。
あの皆の笑顔は、このドラマの中で生きた人たちの「本物の」笑顔である、と。

そして最後に画面いっぱいの高平太の笑顔。
天真爛漫な子供そのもの。
オープニングタイトルのバックに登場していた、夢中で遊ぶ子供の無垢な笑顔と同じでした。
清盛の老年、その死まで演じたあと、登場時の高平太の顔に戻ることのできる松山ケンイチさん、見事な「清盛」でした。
「清盛」そのものでした。
最強の「清盛」でした。




・・・終わってしまいました。
実に清盛と同じ年月を生きたかのように、長い旅でした。
濃密な旅でした。
平家の滅亡という悲しみ。
大好きなドラマが終わってしまう寂しさ。
最終回を見終えたら、きっと、喪失感で抜け殻のようになるだろうと思っていたのに、あのラストを見届けてからずっと、幸福感に満たされています。
こんな境地に連れてきてくれたこのドラマ、揺るぎない軸を持ってこのドラマを作り上げた全ての皆さんに心から感謝します。
ありがとうございました。

そして、このような拙いブログを読んでくださった皆さん。
ありがとうございました。




まだまだ書き足りないような気がするのですが、とりあえず、ここで筆をおきます。
一年を振り返って、まとめ的な記事を書きたいとも思っているのですが、どうなるか。
なお、BSでは12月30日、では1月2日3日に総集編が放送されます。
この長い長い濃密なドラマがどんなふうにまとめられるのでしょうね。
楽しみです。






お知らせ・・・

人物デザイン監修の柘植伊佐夫氏が、ドラマ完結にあたって、人物デザインの秘密を書き下ろしていらっしゃいます。
柘植氏が想像と創造に試行錯誤を重ね、技術の粋を尽くした末にあの魅力的な人物、映像が出来上がっている。
大胆で繊細なデザインに込められた思いの深さに驚嘆しますが、それは、このドラマの舞台裏の凄まじさの片鱗に過ぎないのだろうと思います。
まだ読んでない方は是非。

「キャラクターそれぞれの人物デザイン 総集編+」第1部 第2部 第3部





※以下、1月6日に加筆。

総集編第三部「海の都」のラストは、最終回とは違った時系列での編集がされていました。
頼朝と清盛の対面シーンが、清盛の死の直前におかれ、清盛の魂が時空を超えて未来の鎌倉の頼朝に会いに行ったと思わせる形(西行を介することもなく)。
清盛が鳥羽院を射抜いた矢が時空を超えて頼朝にまで届いたことを思えば、このドラマの表現として、全く不思議ではありません。
最終回視聴時はさらっと見ていたのですが、あらためて「死の直前の清盛が、平家滅亡後の頼朝に会いに行った」という目で見ると、時空を超えた二人の対話、表情の機微の一つ一つ、非常に含蓄のあるものに見えてきます。
とっくに平家を滅ぼしている頼朝に向かって清盛が言う、
「わが倅どもがきっとそなたを討ち取る。そして、そなたが首をきっと我が墓前に供えようぞ。」
それを受けて頼朝の、
「さて、そうは参りませぬ。」
なお、このシーン、公式サイトのあらすじでは、
<1186年、頼朝のもとへ西行が訪ねてきた。西行は頼朝にも清盛の遺言を伝える。「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ」という言葉をうけ、頼朝は自分の進むべき道を定めた。>
と記されているのみです。
ロマンティックでファンタジックな、粋な演出によって、実に「平清盛」的なシーンに昇華したことでした。



(注)
『平清盛』の記事は、覚書とうたっているように、台詞を軸に、見て感じたままを書き留めたものです。
台詞はドラマそのままですが、それ以外のところは主観や妄想が多分に入っています。
あくまでも一解釈とご笑覧くだされば幸いです。
「台詞集プラス妄想」と思っていただければ。

Commented by はるこ at 2012-12-28 23:26 x
画面は見れなくても貴女のこの文章で
ずっと映画を鑑賞しているようでした。
いえ、たとえ見ていても貴女のこの文章があった方が
感動出来たに違いない、と思えました.
しょっちゅう細胞が立ち上がる思いをしました.
巧いですね、、、さすがです。
またゆっくり読み返したいと思いました。
楽しませてくれてありがとう♡
Commented by azukki_bio at 2012-12-30 08:43
はるこさん 
こんな長々とした文章を読んでくれてたなんて、ありがとう。
清盛に始まり清盛に終わる年でした。
来年の大河ドラマ「八重の桜」は新島襄の妻、八重がヒロイン。
覚書は書かないと思うけれど、音楽が坂本龍一なので楽しみにしています。
Commented by meg at 2013-01-17 12:09 x
azukkiさん  はじめまして。

いつもこちらの平清盛のブログを読ませていただいています。
心がこもった文章で…改めてこのドラマの凄さを感じています。

3部前後からはまったので(遅)最初から見ていれば~><。
音楽、映像、脚本、演出とすべてが好みだったのですが、
若手の俳優さんが凄い演技だった大河でした。
最近はドラマを見ていないのでほとんど知らなかったのです。
清盛役の松山さん、法皇役の松田さんはその筆頭で、
窪田さん、岡田さん…はっきり言って脅威でした。若い俳優さんが多くても、(すいません、ここ10年の大河は知らないので)ちゃんと物語が成り立つと驚きました。

すいません。ちょっと脱線しました。
本当にこちらの文章は読んでいてホッとして、共感するところ多いです。
私はまだ、絶賛放映中?(笑)なので
何度もお邪魔すると思いますが
お許しくださいませ。 
Commented by azukki_bio at 2013-01-17 21:20
megさん はじめまして。
ようこそ、コメントありがとうございます。

ずっと読んでくださっているのですね、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、私も映像や音楽に惹かれて入ったのですが、若い俳優さんたちの珠玉の演技にたくさん触れることができたのは予想外でした。
こうして大河ドラマにどんどん若いエネルギーが注入されて、伝統を引き継ぎつつ、新しい大河ドラマを創っていってもらいたいものだと思います。
(ちなみに、私も大河ドラマをよく知っているというわけではなく、大人になってからは「龍馬伝」からなんですよ、ちゃんと観たのは。)

共感くださってありがとうございます。
私の中でも、清盛はまだまだ終わっていなくて、どの回も見直すと何かしら発見があります。
50回を見終わっているからこそ、の発見もあり。
そのうち、こっそり、記事に加筆するかもしれません(笑)
こんなブログでよろしかったら、どうぞ何度でも遊びにいらっしゃいませ。
by azukki_bio | 2012-12-27 00:28 | 平清盛 | Comments(4)