緑滴る森の中。
華麗なる流鏑馬(やぶさめ)のシーンから第4回が始まった。
(以下、いつものように思いつくままに感想あるいは妄想を書き連ねております。)
容姿端麗、眉目秀麗、文武に秀でた北面の武士のモデル的存在として描かれる佐藤義清(さとうのりきよ 後の西行)と対照的にコミカルに描かれる清盛。
装束の着崩しかたは、まるで詰め襟の制服の胸元をはだけ、袖をたくし上げ、パンツの丈を直し、じゃらじゃらとアクセサリーをつけて自己をアピールする問題児のごとし。
待賢門院璋子(たまこ)の雅な歌合わせの場面。
自歌を朗詠する堀河局(ほりかわのつぼね)。
有名な百人一首の「長からむ心も知らず 黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」は義清(西行)の手が加えられたものだったという大胆な脚色。
添削前「長からむ心も知らず わが袖の濡れてぞ今朝はものをこそ思へ」
添削後「長からむ心も知らず 黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」
<解釈>
ずっと長く思い続けるとおっしゃったあなたのお心はまことなのだろうか、はかりかねています。
乱れたままのこの長い黒髪のように心は乱れて 今朝は物思いにふけっております。
義清が言う、「長からむ、と始めたのなら、我が袖、よりも、黒髪、を持ってきたらいかがでしょう」
「長い」と「髪」は縁語であるから、と思われる。
平安時代、女性の髪といえば長いもの、それも黒く長いほどに女性としての美しさを象徴するものだった。
堀河局としては「我が袖」が涙に「濡れる」として詠んでおり、「黒髪の濡れてぞ」ではつながらないので、「では、濡れてぞ、はどうなるのです」と問う。
そこは「乱れて、としては」と義清が答える。
後朝(きぬぎぬ=逢瀬の翌朝)の寝乱れた長い黒髪を乱れたままに物思いにふける女人の情景が浮かび、歌は一気に艶めく。
堀河局の塗りつぶされた眉がひくっと動き、璋子は「ほうっ」という表情、一同感嘆。
冒頭の流鏑馬そしてこの歌合わせの場面で、義清(西行)の抜きん出た文武両道ぶりが鮮やかに披露された。
院のお后ともあろうお方が、またお付きの女房等が、北面の武士の前にこうもあからさまに顔を晒すだろうか?という疑問はあるが、いいのだ。
ここではお互いの顔が見えなければ成立しない場面。
そして鳥羽院と璋子の寝所へ場面が移り、璋子の長く豊かな黒髪が乱れている。
寝具も乱れたままである。
傍らには黒猫、その鳴き声が長く細く聴こえているのが悩ましい。
すでに指摘したことだけれど、『源氏物語』の女三宮(猫を飼っており猫の悪戯がもとで柏木にその姿を見られてしまい柏木の執心の種となる)を想起させる。
お人形のようで常識や思慮に乏しい女性として描かれていた女三宮と、その密通(光源氏への裏切り)、璋子との類似。
けっこう意図的な演出だろうと思う。
画面全体が桜色に染まっているかのような甘美な映像だけれど、事態は甘美ではない。
我が胤(たね)ではない崇徳帝を産んだことを「一言だけでよい、詫びてもらえぬか」という院に、一瞬の逡巡もなく表情ひとつ変えずに「私が悪うございました」と頭を下げる璋子のあいかわらずの残酷。
「悪い」などとは露ほども思っていないばかりか、さらに院のプライドを無惨に傷つける。
たまらず寝所を飛び出した院が見つめる水仙の清らかな白。
璋子のあまりの配慮のなさを思わずなじる堀河局に「私がここにいるのは后のつとめゆえではないのか」と返す。
つとめであって心はないのだ。
院と璋子が心を通わせる時は来るのだろうか。
場面変わって観音堂の御仏に対峙する院の愉悦の表情が痛々しい。
御仏の前で光明を見る。現世では得られぬ心の充足。
屈辱と悲哀の帝王。
藤原摂関家、忠実・忠通父子のもののけぶり。
藤原家成邸の宴に集まった殿上人たちのあざとい嗜虐性。
貴族の象徴である烏帽子(これを脱ぐことは裸になることよりも恥ずかしい。男性性の象徴でもあると思われる)の林立はどこか滑稽だが、ドラマのためにデザインされたシースルーの烏帽子、その透け感が空間にかろうじて軽さと天へ抜ける広がりを出している。
豊明節会(とよのあかりのせちえ)が殿上で行われるため、初の昇殿へと向かう忠盛、その命を狙う源氏の棟梁為義、急を聞いて市中を駆け抜ける息子たち(義朝と清盛)。
薄闇迫る時刻、ブルーグレーの画面の表現が美しい。
やがて、夜が訪れて。
内裏に燃える篝火(かがりび)、忠盛の昇殿の装いの赤が浮かび上がり、一方の暗闇はより深く沈み、夜空には何か黒い邪悪なモノが蠢くようで、そんな中、忠盛と為義との真剣勝負、源平の父同士の勝負の舞台、幕の隙間から覗き見をする二人の息子。
「斬り合いとなれば、源氏も平氏もここで終わりぞ。」と為義をいさめる忠盛。
藤原忠実が為義に遠回しながら忠盛の闇討ちを持ちかけたのは、武家である源氏と平氏が貴族を脅かすものとなる前に首尾よくこの場で葬り去ろうとの思惑からであった、と果たして為義は悟ったか否か。
最後に振り返り、篝火に照らされた忠盛の威厳・覚悟・気品が匂い立ち、比類ない美しさ。
「私は王家の犬では終わりたくないのだ」
(悠然と立ち去る姿はちょっと西部劇の無敵のガンマン。)
翌朝、清盛は父に問いただす。
「いつから考えておったのですか、王家の犬で終わりたくはないと」
忠盛は答える。
「それはな、清盛、お前を我が子として育てると決めたときからだ。
赤子のおまえをこの腕に抱き平太と呼びかけたとき、わしの心に揺らぐことなき軸ができたのだ。」
母舞子の死、そして光あふれ緑に輝くススキが原で清盛を我が子として抱きしめた若き忠盛の場面が蘇る。
前回の記事で忠盛は芯を持った男であり、同時に彼の存在がこのドラマの芯であると書いた。
芯とは心の軸であると言い換えてもよく、忠盛にとってその心の軸とは清盛のことだったのである。
前回、忠盛が「清盛は平氏になくてはならぬ男である」として我が子を守りきった真意はここにあったのである。
清盛は父の深い思いを知り、心打たれて、二人は父子として通じ合った、と見えるが感傷的に引っ張ることなく、真剣(ほんみ)と見まごう刀の正体に話題はずらされて「ひやひやしたわ」と茶目っ気まじりに言う忠盛の一言で闇討ちの一件は笑い飛ばされていく。
見事だ。
昇殿する忠盛を無言で見送った忠臣家貞の表情、その意味もここでわかる。
しかもこの場面、早朝まだ薄暗い中、いつもは賑やかな破れ門はひっそりと静まっていて、門の朱色もいつもより色褪せて見える、その色のない画面に忠盛の正装の赤が引き立ち、美しいといったらない。
映像のことを言えばきりがないのだけれど、平安の都という空間の広がりを感じさせる奥行きのある画面作りには溜息。
脚本の見事さ、キャストの魅力、映像の美しさ。
何か、カチカチッとパズルの一片一片が形を成していくように、緻密な平安絵巻がダイナミックに出来上がっていく。
忠盛が清盛に言う、「おまえが思う以上に殿上は面白きところぞ」
御意。
思っていた以上に、この大河ドラマが描く平安世界は面白いところなり。
音楽のことを少し。
冒頭の流鏑馬で清盛が駆け出すときに聞こえてくる掛け声に、重なる旋律は平氏のモチーフ。
(平氏のモチーフについてはこちらを。 → 音楽担当 吉松隆氏のブログ )
ちなみにこのモチーフは第2回で清盛が舞うときの舞楽にも使われていた。
つまり、既存の舞楽ではなく吉松氏のオリジナルだったということ。
平氏のモチーフがあれば源氏のモチーフもあって、たとえば今回、殿上の闇討ちシーンでは源氏のモチーフが不穏なイメージで繰り返される。
他に「あそびをせんとやうまれけむ」のモチーフがあり、貴族を象徴するモチーフがあり、もちろん、どちらにも属さない音楽もあり。
忠盛が「おまえを我が子として育てると決めたときからだ」と吐露するシーンには、こんな美しい音楽が流れる。
これは吉松氏の既存の曲で、今回の「平清盛」のために作曲されたものではない。
第2回の感想記事で触れた「タルカス」と同様、演出側が是非ともドラマの中で使いたいと希望した曲。
この曲は家族の心のふれ合いや絆を表現するシーンで使われているとのこと。
なお、サントラCDは2月1日発売だそう。
「タルカス」も「5月の夢の歌」もドラマのために新しいオーケストレーションで演奏、録音されています。
なお、オープニングの音楽はこちらで聴けます。
さりげなく、でも丁寧確実に主従のエピソードを入れ、
視聴者の心に積み重ねていってるのが素晴らしいなぁと思いました。
この作業がこれから回が進むに連れ、
これから歴史の転換期に大きな原動力になるんだろうなぁ~と
拝見しておりました。
こういうのをしとかないと、何故これ?と・・・とってつけたような、
不自然なツッコミ転換をしてしまったりして、
視聴者は興ざめなんですよね
そういいつつ多少、それはないかなぁ~も(冒頭ご指摘の)
楽しめる絶妙なラインのエピソードもいいですね
そうなんですよね、細かいところまで行き届いた脚本だから、これが一年積み重なると考えるとワクワクしますね。
回を重ねるごとに、どの登場人物も性格がはっきりしてきて、生き生き動いていると思います。
「それはないかな」なことがあっても、許しちゃいます(笑)
しかし中井貴一、毎回惚れ直してるんですけど!?
今のところ、「平清盛」でなく「平忠盛」ですね(笑)
楽しみにしてるから。
音楽の事もさすが詳しいわね!
中井貴一、昔は好きじゃなかったよね、、、
変わってきた?!(笑)
私は前からお父さんの佐田啓二の面影がちらついて、、
気になる俳優でしたが、
いい俳優になったわね!
音楽のことはネットで調べたらぜーんぶわかるのです、今は便利ね。
中井貴一、そうそう昔は苦手だった。
妙に古風な真面目一点張りの顔に見えてた。
それが本当に今は惚れ惚れしちゃいます。
すごくいい年の重ね方してると思う。
たぶん今、日本全国に中井貴一ファンが激増中(笑)