azukki的. 姉妹猫mao(黒)とmeo(銀)、保護猫ノア(黒白) 空と花と石と美しいもの。

『平清盛』第3回 「源平の御曹司」 覚書


日曜日の夜は平安へ旅する。
それはとてもよくできた絵空事。
リアリティのある絵空事。
全力で絵空事が描かれている。









「弱い者いじめしてんじゃねーよ!」

今までこんな台詞を吐いた平清盛がいるだろうか?
平安時代にこんな言い回しはしない。
でも、これでいいのだ。
すべてがこの台詞に集約されている。
「それは史実と違う」「時代考証に照らしてそれはおかしい」「この時代にその言い方はありえない」
そんなクレームは一瞬で吹き飛ばす。
たとえば映画「ラストエンペラー」では溥儀も西太后も英語で喋っていた。
それを「ありえない」と切り捨てては、あの官能的な歴史劇を楽しめない。
私は「平清盛」として差し出されたエンタテイメントをまるごと受け取る。
ただそれだけのこと。
(誤解があってはいけないので言い添えておくと、このドラマ、時代考証はきちんとされている。
その上でときに大胆にデフォルメやアレンジが成されているわけで、それを楽しみましょう、と思っています。)





さて今回、少年となった崇徳帝が一人、所在なくしているシーン。
目の前に広がるのは御所の庭ではないのだろうか。池と睡蓮。
「ラストエンペラー」にも似たような池のシーンがあった。
初回の即位式での類似もあり、鳥羽院に虐げられて政権から遠ざけられている崇徳帝には「ラストエンペラー」が重なって見える。
ほんの一瞬なのだけれど美しい、はっと心に残るシーン。





他に絵的なことでいえば、平安末期の象徴であるかのような、京の市中「破れ門」の朽ち果て汚れ具合!
この汚しは芸術的だと思うし、芸術的に見せる撮り方、画面の仕上げ方が好み。
また、テーマカラーである赤がそこここで効いている。
破れ門の褪せた赤、薄暗い御所に映える王家貴族の赤、崇徳帝の袍の下に透ける赤。
そういえば、今さらだけれど、オープニングタイトルの映像の赤の使い方は官能的だ。
毎回見蕩れる。
オープニングタイトルでも劇中でも、まるで赤を引き立てるための映像作りがされているのかと思うほど、赤が美しい。
赤の補色である緑が時折印象的に出てくることも効果的だろう。
ラスト近く、落馬した清盛の袿の文様にも、そういえば、色褪せてはいるが赤と緑が使われている。
カメラが俯瞰すると枯れ野にも同じような文様が浮かび上がるように見えたのは偶然だろうか。





実は、私は映画でもドラマでも、ストーリーよりも映像の美しさや官能性に反応してしまうたちである。
ストーリーや脚本が多少突飛でも、映像の一瞬一瞬の快感が得られればそれでよしとする。
けれど、「平清盛」は脚本も素晴らしいと思っている。

庭先で、清盛の継母宗子が清盛を引き留めるシーン。
清盛は3年前のように憎まれ口は叩かず、母の優しい心遣いをきちんと受けとめ、感謝を言葉にする。
3年のあいだにそれだけ成長したのがみえる。
やはり清盛は出て行き、庭を眺め、たたずむ宗子。
やがて現れた家盛の、満開の桜の枝を母のために手折ってやる優しさ。
その桜の木はかつて家盛が清盛と一緒に木登りをして、怪我をした、そのために清盛と母との間に齟齬が生じた、宗子にとっては悔恨の場所。
ここで丁寧に宗子の表情を追うことで、宗子の立場と思いにひととき寄り添う。

同じように桜が舞う御所に、佐藤義清(後の西行)が護衛のために控えている。
桜の花びらがひとひら、ふたひら、舞い落ちる。
西行といえば「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠んだ歌人であるから(当時、花といえば桜のこと)、出来過ぎた登場シーンではある。
しかし美しい。
折しも絵に描いたように鳥羽上皇妃璋子(たまこ)を垣間見る。
ふと詠じる「花は盛りに咲き誇りけり」は桜のことであり、璋子のことである。
その璋子の無垢であるがゆえの残酷が描かれる鳥羽院とのシーンに続く。

鳥羽院が目にたたえているものは何なのか?
こぼれおちそうなほどにたたえているそれは?
エキセントリックで癇性、一触即発な鳥羽院の危うさを三上博史はその声の張り、浮き出た血管、病的に濡れた瞳でよく表現している。
璋子は自分が鳥羽院を裏切っているとか傷つけているなどとは露ほども思っていない。
彼女は完全なる無垢、無邪気である。
まるで『源氏物語』の女三宮だと前回書いたが、白河院と璋子の関係には光源氏と紫の上の関係が重なる。
光源氏は幼いときから養女として育てた紫の上を妻とした。
紫の上にとっては養女として、そして女として、愛され続けていたということでしかない。
フィクションと一緒にするなと言われるかもしれないが、璋子にとって白河院に女として愛されることは、娘として愛されることの延長であって、とても自然なことだったろうと妄想してみる。
彼女は愛しか知らない。
悪意や敵意や負の感情というものは教わってこなかった。
だから、全く曇りのない瞳で鳥羽院に対峙する。
璋子の装束に陰影や重力といったものがなんとなく感じられないのは、お人形のような彼女の在りようの象徴であるようにも思う。
鳥羽院がいくら璋子に苛立ち怒りをぶつけても璋子はそれを理解しない。
璋子への愛と嫉妬、しかしそれも当の璋子には伝わらない、届かない。
哀しみが鳥羽院の瞳にただただ溢れている・・・






さて、このように振り返っていくと見どころばかりなのだけれど、今回のクライマックスは、忠盛が清盛を叱咤する一連のシーンだろう。
9分ほどのこのシーンはワンカットで撮られていると思われる。
その緊迫感たるや。
正義漢ぶって強き野良犬として一人で生きている気になっている清盛を一瞬でどん底に落とす忠盛は、圧倒的に「父」である。
そしてきわめて現実的に平安末期に生きる武士の頭領である。
検非違使の追及を逃れるために、賄賂を渡すことも良しとする。
清盛にとっては、民を守っていたのだと思い込んでいたこと、自分たちは正しいと思ってやっていたことが実はそうではなかった、と忠盛は知らしめる。
それを聞いたときの清盛の「えっ?」
第2回で「俺は誰なんだー!!」に対する「誰でもよーい」に思わず「えっ?」と聞き返したときの比でなく、清盛の肥大した自我を木っ端微塵にする。
これに続く忠盛の台詞は清盛をさらに打ちのめし、丸裸にする。
しかしそのあとに、より大きな愛で包む。
継母である宗子も、ありったけの愛で抱こうとする。
こうして書くと陳腐かもしれない、けれどそこには絵空事の中のリアルがあった。

初回から揺るぎなく芯のある男として描かれている忠盛の存在が今のところこのドラマの芯でもある。
清盛は未だその掌の上で踊っているにすぎない。
大河ドラマにこうした圧倒的な父性が描かれる。天晴と思う。





タイトルが「源平の御曹司」だから、今回本格的に登場した源氏の御曹司である義朝にも触れるならば、競べ馬のあと立ち去る彼の表情に尽きる。
必見。
Commented by at 2012-01-24 01:23 x
あずっきさん、こんばんは。
わくわく、読ませて頂きました。
そして、やっぱりもう一度観たくなっちゃいました。♪
美しく、泥くさく、リアルな絵空事。
こんなものが見られるなんて、ありがたいです。
Commented by はるこ at 2012-01-24 14:49 x
すばらしい解説に感動しています。
この時代の専門家のアズッキさんだけあって、
読んで行くうちに、画像が想像され、ドキドキ、、
毎週みわさんの所に見に行こうかな。
絵空事、、、大好きです。
Commented by azukki_bio at 2012-01-24 21:21
舞ちゃん こんばんは。
さっそく読んでくださったのですね、ありがとう。
45分のテレビドラマ、ですが何度も観たくなる、観るたびに発見がある。
とりあえず、3回、観ちゃいました。ふふふ。
画面のすみずみまで手を抜かずに作ってあるから、もう、舐めるように観ていますよ。
ミクロにも楽しめ、マクロな、大きな流れ、感情のうねりとしても楽しめる。
もう私、娯楽はこれだけでよいです(笑)
Commented by azukki_bio at 2012-01-24 21:24
はるこさん 
いやいや、解説ではなくて、妄想なんですよ、これは。
見る人が違えばまた、違った物語になるかもしれません。
この時代は好きだから、平家物語も、学生のとき読まされたから、特別思い入れがあります。
ミワコさんと一緒に見ると楽しいよ、きっと!
by azukki_bio | 2012-01-23 20:44 | 平清盛 | Comments(4)