azukki的. 姉妹猫mao(黒)とmeo(銀)、保護猫ノア(黒白) 空と花と石と美しいもの。

『平清盛』第2回 「無頼の高平太」 覚書


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高平太登場。
なんという爆発的な登場か。
なんという躍動感、疾走感か。


(以下、ネタバレあり、ご注意ください。)








高平太=高下駄を履いた平家の長男すなわち清盛のこと。
当時、宮廷に使える身分高い者は通常「沓(くつ)」を履く。
「高平太」とは出仕もせずに高下駄を履いて遊蕩している清盛を揶揄した蔑称として『平家物語』にも記された言葉なのだが、この高平太、変わっているのは履物だけではない。
全身、異形の者。

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こんな清盛、誰が想像しただろうか。
しかもいきなり悪所、賭博場からの登場。
サイコロ勝負に勝ち、ニヤリとする清盛に「タルカス」の音楽が重なり、物語は一気に走り出す。
この「タルカス」は元はイギリスのプログレッシヴロックバンド、エマーソン・レイク&パーマーの曲。
それを今回の音楽担当吉松隆氏がドラマとは関係なく、オーケストラバージョンに編曲していたものを、ドラマ制作側が是非劇中で使いたいと強く希望したとのこと。
既存の曲が大河ドラマに使われるのは異例のことだけれど、この高平太登場シーンのエネルギッシュな混沌、たくましい平安の演出に実に気持ちよくハマる。
追手から逃れて市中を駆け抜ける清盛。
俯瞰して見せるこのシーンが素晴らしい。
ほんの一瞬だがそこに平安の庶民の、底辺の生活がある。
汚しの美学。






清盛は女物の袿(うちき)を羽織っている。
着古されて汚れ擦り切れ破れているが、かつては色とりどりの縫い取りできらきらと輝いていた高貴な袿であったことがうかがえる。
さまざまな文様が浮かび上がっている、そこには秘めた意味があるのかもしれない。
母舞子が逃亡の際に羽織っていたものに似ているようにも、また、舞子の姉のような存在で育ての母かわりでもある祇園女御が羽織っているものに似ているようにも思うが、それらは紗の一重のものだった。
(オープニング映像で幼い清盛が羽織っている白い衣は舞子の袿に見える。)
袿とは本来一重、しかし清盛のトレードマーク的なこの袿には黒の裏地がついているという。
人物デザイン監修の柘植伊佐夫氏によれば、そこにはデザイン的な意味だけでなく、3.11 の震災で犠牲となった方々の喪に服するという意味も込めているという。(「平清盛」公式HPより)
これは私の勝手な見立てだけれど、生まれながらにして母の死を背負っている(母の死とひきかえに助命された)ことの象徴といってもいいかもしれない。
そんな清盛が髪に簪(かんざし)として差しているのは、母舞子の形見の鹿の角。
かつて父忠盛が舞子に贈ったものだ。






鱸丸の父を助けるため、実の父である白河院のもとへ直訴に行く清盛。
忠盛が舞子と赤子を取り返すためかつて院に直訴したように。
世を治めるためといいながら民に苦しみを強いている院への抗議でもある。
そこで院の口から自分の母が誰であるのか、聞かされる清盛。
母は白拍子(遊び女)だった。
自分は王家に禍をもたらすものとして抹殺されようとしていた。
母は父である院が殺した。
なんという重い宿業。
息もつかせぬテンポで疾走してきたドラマがここで立ち止まり、地面に手をついてうなだれる清盛を静かに捉える。

やがて清盛は院に問う
「ならば、何故、私は生きておるのですか」
母を殺され、王家に禍を為すものと言われた自分がなぜ、ここに生きているのか。
民を苦しめている院の圧政も、禍々しき自分の存在の故ではないのか。
(幼い清盛がそこまで思い至ったかどうかはわからないが。)
それに対して院は答える。

「それはの、そちにもこの物の怪(もののけ)の血が流れておるからだ」

この台詞はドラマの予告編で何度も耳にした。
そのときは白河院の怪物性、おどろおどろしさしか感じなかった。
しかし、今回一連のドラマの流れの中で聞くとそれは、
「そちが私の血を引いておるゆえ、私はそちの命を奪わなかったのだ」
という、血のつながった実の父としての吐露と聞こえたのだが、気のせいだろうか?






貴族社会の中の武士として生きる決意をしたらしい清盛が、院の前で舞を奉納する。
その中で彼はまるで中国の故事「鴻門の会」さながらに、舞台を飛び出して院の前に宋剣を突きつけて見せる。
ここで全く動じない白河院が良い。
立ち上がり、去り際、

「なかなか面白き舞であった。
まこと、武士の子らしゅうての。」

その物言いの意外なやわらかさと目を細めた一瞬に慈愛が滲んだように見える。
実の父子の鮮烈な交感シーンを遺して、院はまもなく世を去る。





もうひとつ、予告編で見た印象が絶妙に気持ちよく裏切られた例。
駄々っ子のように地面に仰向けに転がった清盛が拳を叩きつけながら
「誰なんだ、俺は! 俺は、俺は、誰なんだああああ!!」
と叫ぶシーン。
院の子でありながら平氏の長男として育てられている自分はどこにいても異質な存在、かといって貴族としても武士としても生きたくはない、父のようにはなりたくない、でも今は父の庇護下でなければ生きられない、そんなジレンマに地団駄する、「自分とは何か」という根源的だがときに青臭い自己中心的な問いかけ。
下手をすれば陳腐になりかねないこのシーンが、阿部サダヲ演じる(この時点では正体不明の)男によって軽妙にずらされ、救われる。

「誰でもよーい」
「誰でもよいゆえ助けてくれい」

歴史に残る名シーンになった(笑)






あと、心に残ったところをいくつか。
白河院の輝く金色の装束、それを反射するかのように、祇園女御のモノトーンの装束に浮かび上がる金色の文様。
まるで『源氏物語』の女三宮を思わせる無垢な璋子の、陰というものがない表情。
鳥羽上皇の繊細、憂い、哀しみに重なる鋭いケモノの鳴き声は狐か、それとも宮中に棲む鵺(ぬえ)か。
雨の中をよろよろと歩く鱸丸、斜めに傾いた地面。
舞の稽古をつけてくださりませ、と清盛が父忠盛に願う場面で遠く聞こえている犬の遠吠え。
白河院崩御を悼む祇園女御、黒髪の翳り。





王家、貴族、武士、漁師、市井の者、それぞれの個性がきわだっていて小気味よい。
風景のリアリティ。
汚しも雅も芸術の域。

坂東玉三郎さんがご自身のHPで『平清盛』について書いていらっしゃる。

以下にその部分を引用いたします。



8日から始まりましたNHK大河ドラマ「平清盛」の第1話を観ました。今の時期にこのような時代物を作ることが出来るのだと、我がことのように感激しました。 今までテレビ上で多くの時代物に触れてきましたが、今回の「平清盛」は特別でした。配役、脚本、美術、衣装、鬘等、力の入った素晴らしいものでした。衣装の絹の使い方、衣装の汚し方、鬘の生え際の写し方など、細部に心が行き届いているのもとても嬉しかったのです。時代物が消えていく時期に、このような作品が出来るのだと勇気が出ました。ジョン・ブアマンや、ジャン=ジャック・アノーの時代物作品のようなこだわりも感じました。制作費も時間も掛かっていることが分かりました。これからどうなって行くのか更に期待しています。(坂東玉三郎「今月のコメント」より)



わかる人にはわかる。
NHKがやろうとしている表現が優れて希有であること。

平成は、平安を見よ。
Commented by こるぷん at 2012-01-22 22:44 x
こんばんは、週回遅れで2回目を拝見し終わりました。
3回目を見る前に記載させてもらいます。

まず2回目の放映を観る前にどうしても気になってしまった私は
AZU様のブログを拝見してしまいましたぁ~^m^♪

そして、期待していた 歴史に残る名シーン(笑)

「誰でもよーい」 「誰でもよいゆえ助けてくれい」が
こんなに早く出てくるなんて(笑) え(゜o゜)もう出た!と
違う意味でも笑う


さて、これまで小学生の頃よりだいたいの大河ドラマを
見てきたわけですが
これまでに描かれてきた平安時代って、なんだか面白くなくて
何か興味が引かず・ドロップアウトしてきました。

だからか、かからか?平安時代→面白くないとドラマ認識
何故そんな風に思うのか、そう思う要素が何だったのか
子供の私にはまだわかりませんでした。

清盛を見るとそれがハッキリわかります。

NHKのスタッフさんたちの凄まじい企業努力であると
こんな簡単な言葉で片付けたら、申し訳ないですが

スタッフさんキャストさんたちの意気込みを大いに湛えたいと
思います。

魅せる・清盛 大いにこの平成の世を疾走してもらいたいと思います。




Commented by azukki_bio at 2012-01-23 14:10
こるぷんさん 
歴史に残る名シーン(笑)まあ、冗談(半分本気)ですのでお許しください。
平安時代末期の退廃、貴族のおどろおどろしさ、武士の勢い、世の中が動いていく感じ、これだけ凝った映像で見られるなんて、ワクワクします。
松本ケンイチさんに関しては、内向的なアブナイイメージをもっていたのですが(ええ、勝手に)ここまで汚れてはっちゃけてくれてうれしいです。
もう爆発してもらいたいですね。
一週間に一度のお楽しみ。
ありがたいことです。 NHKさまさま。
by azukki_bio | 2012-01-16 18:28 | 平清盛 | Comments(2)