2012年 01月 09日
『平清盛』が始まった。 〜第1回「ふたりの父」覚書〜
大河ドラマ「平清盛」が始まりました。 公式HPは こちら
(ネタバレ的なことも書いていますので、つづきを読む際はご注意を。)
一昨年の「龍馬伝」は革命だ、と思ったのでしたが、当時革命的だと思っていたことがすでにここではスタンダードになり、そのスタンダードの上にさらに大胆に挑戦的な表現がされている、と感じました。
大河ドラマ50年の伝統と「龍馬伝」が起こした革命との結実。熟成。進化。
昨夏から公式HPが更新されるたびに、これは面白くないはずがない、と抱いていた期待は裏切られるどころか、ここまでやってくれるの?と驚喜し喝采するレベルでした。
すべてがリアル。
そこに平安時代が「ある」。
今まで誰も見たことがない、でもきっとこうであったにちがいない、と思わせる平安時代の風景。
雅で綺麗なだけではない、汚れて血生臭くて妖艶で残虐でたくましい平安。
そんな風景がまず、ごく当たり前のように、「ある」。
平清盛が生きた時代を圧倒的なリアリティーをもって描く、そのために全俳優、全スタッフが全力を尽くそうとしている、第一回を見ただけでもそう感じました。
なおかつ、歴史に基づきつつ、想像力を思いきり広げた、優れたエンタテイメントである。
今までの大河ドラマのどれとも違う、しかし、これぞ大河ドラマである。
第一回にして、そう言ってしまいたいほど。
テーマ的なことについて、少し。
平家の色といえば、言わずと知れた赤です。
(源氏は白、平氏は赤)
その赤がこれほど使われているとは思わなかった。
今回の大河ドラマは血を描くことを躊躇していません。
それは実際に斬られてほとばしる血であると同時に、血縁として脈々と受け継がれていく因縁の血でもあります。
この赤はおそらく全編を通じてテーマカラーとなっていくのでしょう。
また、オープニングタイトルでも、劇中でも、サイコロが印象的に使われていました。
これは『平家物語』にある白河法皇の天下三不如意、
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
との記述を踏まえてのことと推測します。
つまり、清盛は白河法皇にとって「意のままにならぬもの」である。
さらに、清盛は「意のままにならぬ」はずのサイコロを意のままに操ることができるかもしれない、宿命をも変えられるかもしれない人物である。
そんな意味が込められているのではないかと。
あくまでも想像(妄想)ですけれど(笑)。
そしてもう一つのテーマ
「遊びをせんとや 生まれけむ
戯れせんとや 生まれけん」
これは当時の今様(流行歌)の一節で、ドラマ全編を通じて流れることになるらしい。
まず誰よりも、ドラマを創る皆さんが、この歌のように思いきり遊び、戯れている、つまりは幼子が一心に遊ぶように全身全霊仕事に遊び戯れている、仕事を全うしているような気がしてならないのです。
思いきり楽しんで観なくてはもったいない。
心からそう思っています。
なお、ドラマのオープニングテーマの冒頭でこの今様のメロディがピアノによって奏でられます。
その調べの優しいこと。
弾いているのは、左手のピアニスト舘野泉氏。
彼の起用も素晴らしいのですが、作曲家吉松隆氏の創る音楽は、ドラマの抑揚と非常にシンクロしていて、突出せず、それでいてドラマに深みと重みを演出している。
大河ドラマの音楽としてひとつの理想の形であると思います。
ドラマの躍動感そのままにうねる波のような音楽。
「龍馬伝」の、映像と音楽の異種格闘技のような快感とは異なる(これはこれで大好きだった)、別種の心地よさです。
さて、以下は観ながら浮かんださまざまなイメージも含め、とりとめない呟き的に振り返る第1話。
古典的名作を想起するようなシーンが多かったのですが、単にこれは私の勝手な妄想ですのでお笑いください。
・・・・・・・・・・・・
褌一丁の泥まみれの男たちが巨大な木の柱を大地に立てる儀式から始まった「平清盛」。
揺るぎない"男性"性の強調。
平安の都は「羅生門」の世界。
武士、下賤の者、おそらくヒトでないモノまで、泥にまみれ血に汚れて蠢く。
闇に跋扈する盗賊の首領朧月(おぼろづき)は黒澤映画「影武者」「乱」の隆大介、
一瞬の登場ながら強いインパクトを残して斬り殺される。
父親朧月を探し回るまだ幼い男の子の眼前で「羅生門」さながらの引剥ぎ(ひはぎ)が行われている。
白拍子舞子を演じる吹石一恵の渾身の演技。
厩での出産はキリストを想起させ、しかしそれはあまりに凄惨で、
血にまみれた赤子、舞子の長い黒髪、
黒髪の間から見える鬼気迫る表情、
ここはベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」、
納屋の藁にまみれた長い金髪の間に顔が隠れて見えないエロティックなシーンを思い出す。
やがて泣き声を上げる赤子に思わず乳を含ませる舞子の動物的本能としての母性。
一方、妖しくおどろおどろしくまがまがしく退廃の漂う貴族と王家の描写。
このあたりは人物デザイン監修の柘植伊佐夫氏の仕事がひときわ冴えている。
伊東四朗が演じる白河法皇のバケモノ感と三上博史が演じる鳥羽帝の危うさ。
幾重にも重なる御簾の向こうの暗闇。
陰陽師と憑坐(よりまし)のまがまがしさ(NHKとしてはよくここまで描いたと思われる)。
白河法皇と養女璋子(たまこ)の禁断の濡れ場(同じくNHKとしてはよくここまで・・・以下略)。
幼くして即位した崇徳帝が御簾をくぐって広場に駆け出すシーンは「ラストエンペラー」。
やがて捕らえられた舞子、彼女が身を挺して守ったのは赤子と忠盛と平氏の未来。
権力に立ち向かった一瞬にして幾本もの矢に射られる、仁王立ちの見事な最期は弁慶。
光あふれる緑のススキが原で赤子を抱く忠盛、
赤子の無垢な笑み、その神々しさ!
きらきらと光に包まれ平太(平氏の太郎、後の清盛)と名付けられた赤子は少年となり、
出生の秘密を知り、雨に濡れ泥だらけで地面に転がる。
平太が抱く犬の死骸、かわいがっていた犬の死、泥まみれの死、まさに犬死に、その平太に、自分も「王家の犬」であるはずの忠盛が浴びせる「おまえは平氏の犬!」
圧倒的な父性を見せつけた忠盛(中井貴一)あっぱれ。
父がぬかるむ土に突き立てた剣を全力で引き抜く幼い平太はアーサー王か。
「エクスカリバー」だ。
そして船の先端で剣を振り上げる成長した平太、清盛。
次回へ、つづく‥
『明治朝廷が平清盛を英雄扱いをする理由』 http://t.co/kkBfL4fb
ご教授ありがとうございます。
Azu様的考察、また一年楽しませて下さいませ^^
テレビドラマだけれど映画のような出来のドラマ。
そしてさまざまな映画を想起させるのは、制作者のアソビ心かも、と思ったり。
好きな時代なので、ホント、たまりません。
毎週日曜日が楽しみ。