2016年 11月 22日
天寿
満101歳でした。
2月に肺炎で入院し治癒したのち、自宅での介護が難しくなり介護施設に移っていました。
穏やかに眠ったまま旅立ったようです。
誰にも言わず、ひっそりと。
人に世話をかけたがらなかった祖母らしい去りかたでした。
自然に、静かに落ち葉が散るように、生涯を閉じました。
大往生だったと思います。
実家からの知らせで、とるものもとりあえず車に乗り祖母のところに向かっているとき、ガソリン切れのアラーム音が鳴りました。
ガソリンの残量を確かめずに高速道路に入ってしまったのでした。
でも、アラームが鳴ったのはちょうど、セルフサービスのガソリンスタンドがすぐそばにある高速道路出口の手前だったのです。
深夜だったし、普通のガソリンスタンドは開いていません。
セルフのガソリンスタンドに寄れるタイミングでアラームを鳴らしてくれたのは、きっと祖母なのだと思います。
このことだけでなく、今回、奇跡のように「タイミングが合う」ということがたくさんありました。
急なことでしたが、ドイツ在住の叔母(祖母の長女)もするすると何かに導かれるようにスムーズに帰国を果たし、通夜に間に合いました。
きっと、祖母が、裏で糸を引いていたんです(笑)
その翌朝の雨の庭。
葬儀の日、きれいな花に囲まれた祖母は嬉しそうでした。
告別式では、叔母が祖母のエピソードを披露しました。
大阪からお嫁にきたとき、それはそれはよく働くので「コマネズミ」と呼ばれ、また「大阪の食い道楽の娘」とも呼ばれていたこと。
きれいなもの、かわいいもの、美味しいものが大好きだったこと。
40代後半の祖母が東京にいる娘たちを訪ねたとき、新宿の街角で娘たちがちょっと目をはなしたすきに男の人に口説かれていたこと。
ひとりにしておくと危ないね、と娘ふたりで話したこと。
ドイツにいる娘たちのところへ滞在していた60代のとき、髪にパーマをかけてアフロヘアにし、耳にはピアスの穴をあけて、「日本に帰ったら、気候の関係でこうなりましたって言うわ」と茶目っけたっぷりに笑っていたこと...
告別式なのにくすくす笑い声が上がりました。
そのあと好きだった「Only You」(ええ、あのオンリ〜ユ〜〜です)のピアノ演奏、最後のお別れのときには、これも好きだった「みずいろの雨」、出棺の際は、先年亡くなったもうひとりの叔母(祖母の次女)がよく歌っていたという「ハナミズキ」で送りました。
進歩的で大胆、お茶目でジョーク好きな祖母らしい、いい式でした。
いい送りができたと思います。
祖母の部屋にきちんと整理されていたアルバムに、祖母のお嫁入り前とお嫁入りのときの写真を見つけました。
初々しい!
こんな写真も見つけました。
猫もかわいいけど祖母もかわいい(笑)
戦中戦後、大家族の嫁としてそれはそれは苦労し、その後も一家の主婦として、私や弟の母がわりとして、長く家を守ってきた祖母。
ありがとう、おつかれさま、いっぱい楽しかった!
祖母のことを思うとき、笑顔しか浮かんできません。
たくさんの人を見送った祖母、たくさんの人に迎えられてきっと、積もる話をしていることでしょう。
祖母が満100歳を迎えた去年の記事です↓
今年紅葉の美しさに目覚め、息子を抱っこして散歩しながら毎日堪能しています。
積み重ねた日々の美しさがようやく少しわかる年齢に私もなってきたのでしょうか。
お祖母様の美しさ、見事な最期を拝見させていただきました。
ありがとうございました。
お祖母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お祖母様のこと、時々ブログに書かれていましたので、立派な方だなあと思っておりました。
101歳までご家族様と一緒に暮らせたことが素晴らしいです。
昨年の記事ももう一度拝見して、お茶目で陽性なご性格だったからこそのご長寿だったのだろうなぁと思いました。
お母様もazukkiさんもお疲れ様でございました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
いつも祖母の写真を見てくださっていて嬉しかったです。
息子さんを抱っこして紅葉を見上げるたむたむちゃんを想像しています。
錦秋のいちばん美しい時期を選んで旅立つなんて、なかなかできない技です。
最後まで「参りました」というほかありません(笑)
ありがとうございます。
お茶目で陽性、本当にそうでした。
パキッと潔く、度胸のある人でした。
美味しいものが大好きだけど、いつも「腹八分目、いや六分目」がモットーでしたし。
祖母を見習って、健康で生き切りたいものだなあと思っています。